※虫の気持ち悪い話が続いています
「クマ吾郎、大丈夫か? あの虫を飲み込んでいないよな?」「ガウ」
俺の問いかけにクマ吾郎はうなずいた。大丈夫のようだ。
あの虫。 最初にボサボサ頭のジェイクが虫を飲み込んだ一週間前、もっとしっかり介抱してやればよかった。 腹を殴ってでも虫を取り出しておけばよかった!だが、今さら後悔してもどうしようもない。
俺は辺りを見渡した。 通りには人がほとんどいない。あの虫を恐れて、みんな家に閉じこもっているんだろう。俺は衛兵の詰め所に行ってみた。
もし虫討伐の準備が進んでいるなら、手伝いくらいしようと思ったのだ。「虫退治がどうなっているのかって? 手に負えないから、王国騎士団の応援を呼んだよ」
衛兵の一人が言う。
彼は奥のドアを指さした。「下手に退治に行くと、ミイラ取りがミイラになる。寄生されて虫を吐き出す人間が増える一方だ。寄生された奴らはあっちの部屋で隔離している」
「そんな……」
ジェイクはあんな状況でも正気を保っていた。あれは苦しいだろうな……。
王国騎士団は数日以内に到着する予定だという。 今、俺にできることは何もない。 下手に手を出したら俺まで寄生されるかもしれないし。ていうか危なかったし。別に王国騎士団を待つ必要もない。
ちゃんと討伐できるの見込みがあるならば、こんな町はさっさと離れておいたほうがいいかもしれん。 俺はモヤモヤとした気分を抱えながら、表通りに戻った。「もう夕方か。宿屋、やってるかな」
そんなことを考えながら、宿のあるほうへ行く。
と。
道端の茂みの中から、魔物の虫が飛び出してきた!「クソ、町なかにもいるのかよ!」
俺は剣を振るって虫を叩き落とす。
中くらいの大きさに育っていた虫は刃を受けて、ぶちゅっと潰れた。黄緑色の体液が「ゲボッ」 咳をすると同時に血を吐き出した。 かすむ目にクマ吾郎の心配そうな顔が映る。「ゲボォッ」 また血の塊を吐き出した。 ……いや違う、血だけじゃない。 黒っぽい何かが交じっている。 虫の死体だ! サソリやクモを思わせる小さな虫は、足を縮めて完全に死んでいた。 俺の腹の中で毒薬をもろに浴びたのだろう。「やった、ざまあみろ……」 意識が遠ざかりそうになるが、必死で引き止める。 ここで倒れるわけにはいかない。 ここはまだ虫たちのテリトリー。気絶すればまた寄生されてしまう可能性がある。 俺は歯を食いしばって意識を押し留め、体力回復のポーションを飲んだ。 喉も胃も毒薬で焼けてしまったので、少しでも中和するつもりだった。 回復の効果はそれなりに出て、いくらか体が楽になる。 俺はふらつく足で立ち上がった。 クマ吾郎につかまりながら歩いて、鉱山町の外へと出る。 安全と思われる距離までやって来て、俺はようやく膝をついた。「ひどい目にあったが、何とかなった……」 もう一本、体力回復のポーションを飲む。 喉を落ちていくポーションが、触れた場所の傷を癒やしてくれるのが分かる。 普段は薬臭くてまずいと思っていたのに、今日ばかりは妙においしく感じられた。 生きていると実感できて、嬉しかった。 俺とクマ吾郎は野外で一晩過ごした後、鉱山町に戻った。 衛兵詰所に行って毒薬を飲めば虫を殺せると説明する。「何……? そんなことが本当にできるのか!?」 衛兵隊長のおっさんが驚いている。 大事な部下が何人も虫に寄生されてしまって、心を痛めていたんだそうだ。「本当です。
「マジックアロー!」 網の目に指先を通して魔法を使えば、マジックアローの矢は網の向こう側に生まれた。これなら網を傷つけずに済む。 MPが続く限り魔法を唱えて、MPが尽きたら剣先でチマチマと虫を潰した。 衛兵たちも魔法が使える人は似たような戦法を取っている。 槍でチクチクと潰している人もいる。 部屋から出した元寄生者は、体に虫がついていないかよく確認してから網の外に出した。 そうした地道な作業を繰り返すこと、約二時間。「や、やった……。これで全部だ」 全員の虫の吐き出しが終わり、隔離室にいた虫も全滅させることができた。 虫増殖の元凶、ボサボサ頭のジェイクも同じ方法で助けることができた。 ただしジェイクの腹の虫は育ちすぎていて、毒薬で殺すことはできたが吐き出すには大きすぎた。 無理もない、こいつは一番最初に寄生されていたからな。 それで彼は医者に運ばれていった。 開腹手術で胃の中から取り出すんだそうだ。ひぇ。 それでも毒薬で殺せたからまだいいが、もしそれすら無理なくらいにデカくなっていたらどうなっていたんだろう。 腹を食い破って出てくるとか……? 想像するだけで気分が悪くなってくるぞ。やめやめ。 王国騎士団は全て片付いた日の午後にやって来た。 ものものしい雰囲気だったが、全部解決した後だと聞いて拍子抜けしている。「寄生型の魔物に毒薬が有効だと知っている者がいたのだな」 そう言って前に出たのは、国王一家の後ろに控えていた白フードの騎士だった。騎士団長だって話だったか。「我らも対策を取ってきたが、無駄になったとは」 ちらりと俺を見る。「……いや、責めているわけではないのだ。素早く正しい対処に感謝する。対処が半日遅れれば、それだけ被害が拡大した恐れがあ
鉱山町の事件が解決された。 報奨金で懐が温まった俺は、ほくほくしながら冒険者ギルドに立ち寄っていた。 また町から町を移動して、配達依頼をこなしてく予定だ。 冒険者ギルドの掲示板をチェックしたら、手頃な配達依頼を発見した。「お。港町への配達依頼が出てる」 かつて拠点にしていた港町カーティスだが、しばらく戻っていない。 久しぶりに顔を出すのもいいだろう。 そう考えた俺は配達のアイテムを受け取って、クマ吾郎といっしょに町を出発した。 そうして二日ほど歩いたときのことである。『警告! 警告! 請負中の依頼は、あと一日で期限を迎えます』「え?」 荷物袋からそんな音声が流れた。 何事かと確かめてみると、声の発生源は冒険者ギルドの依頼票である。 いやしかし、あと一日ってどういうことだ。 鉱山町で引き受けた配達依頼は、十分に期限に余裕があるのに。「あっ」 そこで俺は気付いた。 警告を発した依頼票は、王都パルティアで引き受けたものだということに。 内容はボサボサ頭ことジェイクへの魔法書配達依頼。「しまった、それどころじゃなかったから、配達品を渡すのをすっかり忘れていた」 あと一日だって? もっと早く警告してくれよ。 鉱山町を出てから二日歩いてしまったが、急いで夜通し走れば一日で何とか町まで戻れるかもしれない。なんとかしよう。「あっ……」 しかし俺はもっと悪いことに気づいた。 配達品として預かったマジックアローの魔法書は、昨日勉強として読んでしまったのだ。 あれが配達品だとすっかり忘れていて、普通に手持ちの魔法書と一緒に読んでしまった。 魔法書は数回読めば魔力を失って崩れて消えてしまう。 つまり悪意はなかったとはいえ、俺は配達品をネコババしたことになる!「まじかよ。勘弁してくれよ」 俺は頭を抱えた。 クマ吾郎が心配そうに顔を舐めてくれる。
開腹手術で虫を取り出したジェイクは、思ったよりも元気そうだった。 病室のベッドの上で起き上がって本を読んでいる。まさか魔法書……と思ったが、普通の本のようだった。やれやれ。「やあ、ユウさん。その節はお世話になりました。おかげさまで助かりました」 笑顔で出迎えてくれる彼に罪悪感を覚える。「ジェイク。とても言いにくいんだが、きみ宛の配達品をなくしてしまった……」 ネコババしたとはさすがに言えない。 ジェイクが顔を曇らせる。「僕としては構いませんが、冒険者ギルドの規定だと配達品の紛失はペナルティが重かったはずです」「そ、そっか」「今回はこんな事件がありましたから。事情を話せば考慮してもらえるかも」「だといいな」 確かに町中を巻き込んだ大事件の余波である。情状酌量の余地はあると思いたい。 しかし俺の希望的観測は打ち砕かれた。 冒険者ギルドの受付のおばさんは、冷たく言い放ったのだ。「どんな事情があっても配達依頼の失敗は失敗です。しかも期限切れだけでなく配達品の紛失。カルマ、マイナス20ですね」「カルマ」 カルマというと、依頼を成功させるごとに少しずつ上っていった謎のステータスだ。 お金目当てで依頼を引き受けてきちんと達成していたので、いつの間にか上限の30まで上がっていた。 そこから一気にマイナス20。きついといえばきついが、そもそもカルマって何だ?「カルマは一体どういうステータスなんですか?」「あなたの身に宿る因果応報を数値で表したものですよ」 よく分からん。「もう少し詳しく」 俺が言うと、おばさんはため息をついた。「要するに王国においての善人、もしくは悪人の度合いです。依頼を成功させて人の役に立てばプラス。失敗して迷惑をかければマイナス。他にも盗みや殺人、脱税などの犯罪行為を行えば大きくマイナス」「ははあ…&helli
久々に港町カーティスへ行った俺は、ちょっとした里帰り気分を味わっていた。 前によく散歩に付き合ったザリオじいさんに挨拶して、旅の話を聞かせたり。 極貧時代に皿洗いのバイトで通った酒場に、今度は客として行ってみたり。 故郷に錦を飾るってほどじゃあないが、少しは余裕が出た姿を皆に見せられて誇らしい。 冒険者ギルドに行くと、受付のおっさんが声をかけてくれた。「よう、ユウ。お前もいっぱしになったじゃねえか。レベルも10を超えたし、そろそろ新しい依頼も解禁だな」「新しい依頼なんてあったのか?」 俺が聞けば、おっさんはうなずいた。「おうよ。駆け出しのひよっこには任せられない仕事な。例えば護衛依頼なんかがそうだ」 見せてくれた依頼票には「南東の農村まで親戚を護衛してほしい」との内容が書いてあった。「これは別に狙われるような人間じゃないが、冒険者でもない奴が一人で旅をするのはキツイからな」「なるほど、道中は弱い魔物や野生動物が出るもんな」「そうそう。で、他にもちょいとヤバい話もある。デカい金額を移送する銀行員みたいに狙われやすい話や、裏社会に敵のいる奴が襲撃から守ってほしいと頼んでくる話もある」 裏社会は本当にヤバいな。あまり関わりたくない。 ただ、護衛依頼は配達依頼よりも一回り以上依頼料が高かった。成功させればなかなかにオイシイ。 行先に配達依頼も出ていたら、ダブルでオイシイ。「よし、やってみるよ」 俺は護衛依頼を受けることにした。 先ほど見せてもらった南東の農村への依頼票を受け取る。 冒険者ギルドを出て依頼主の家を訪ねた。「依頼を受けてくれてありがとう。この人の護衛をお願いね」「チーッス」 家から出てきたのは、だいぶチャラい感じの兄ちゃんである。「オレ、農村なんて田舎行きたくないケドー、おふくろが働けってウルサイんでー、農業目指すみたいな?」 おっと、いい年こいて無職の人か。 まあ俺には関係ない。きちんと護衛
「ガウ……」 シャーマンを始末したクマ吾郎が困った顔をしている。 俺もどうしていいか分からない。 火が周囲に延焼せずに消えたのだけが救いか……? と。『護衛対象の死亡を確認しました。護衛依頼は失敗です。ペナルティ』 依頼票が声を発した。 ペナルティの声と同時に、軽いめまいがした。 この感覚は前にも経験がある。カルマが大きく減ったときだ。 ステータスを開いてみたら、カルマが-25まで減っていた。マイナスの概念があったのか。「どうしよう……」 とりあえずこいつを埋葬してやって、農村に向かうしかないだろう。 彼が死んでしまったと到着先に伝えないといけない。 ついでに、農村まで届けものをする配達依頼もある。 俺は穴を掘って黒焦げ死体を埋めた。 土を盛って棒を刺し、軽く手を合わせておく。 こんなことなら、問答無用でクマ吾郎の背中にくくりつけてやればよかった。 後悔してももう遅いとは、このことだった。 目的地の農村に足を踏み入れると、いつもと雰囲気が違うのに気づいた。 普段は村人たちはみんなフレンドリーで、挨拶をしてくれる。 この農村は何度も来ているから、村人や各店の店主、衛兵とも顔見知りだ。 それなのに。「こんにちは。ひさしぶりです」「……ッ」 俺が挨拶をすると、村人のおばさんは顔をゆがめてその場を立ち去ってしまった。 周囲を見渡しても、誰も俺と目を合わせようとしない。よそよそしいを通り越してはっきりと避けられている、もっと言えば嫌われていると感じた。「なんで?」「ハフゥ?」 俺とクマ吾郎は顔を見合わせて首をかしげる。
最近の俺は多少は強くなったので、野外でサバイバルしながら生きていくのはできると思う。 森の木の実を取ったり魔物や野生動物の肉を狩ったりで、食べ物は何とかなる。クマ吾郎という頼りになる相棒もいることだしな。 けれど一生お尋ね者で町に入れない生活なんて嫌だった。 町に入れなければベッドで寝られない。風呂も入れない。人と会話することもない。 俺は人間なんだぞ。そんなの嫌に決まってるだろ。 もう一度よく考えてみよう。どこかに突破口はないか。「そういえば、襲いかかってきたのは衛兵だけだったな。村人は嫌な顔をするだけで」 衛兵の目さえかいくぐれば、町で活動ができるか? 帽子をかぶるとか髪を染めるとか、軽く変装すれば村人もごまかせるかもしれないし。「そうだ、衛兵がいない町があったっけ」 ここから南下した先にある治安の悪い町である。 そこはならず者が我が物顔でうろうろしていて、衛兵が一人もいない。 一度配達で訪れたとき、あまりのガラの悪さにさっさと退散したのだった。「あの町に行ってみよう。行ってみるしかない」 南に向かって歩くこと約四日。 俺とクマ吾郎は、ならず者の町ディソラムに到着した。 道中で農村への配達依頼の期限が切れたおかげで、俺のカルマはさらに下がった。 今ではマイナス35である。 なお護衛対象の兄ちゃんが死んだとき、カルマは一気にマイナス25になった。 その後、彼の死体を埋葬したらカルマはマイナス20に上昇した。 どうやら依頼成功だけでなく、一般的に善行とされる行為を行ってもカルマは上がるようだ。 で、マイナス20だったカルマが配達依頼失敗でさらに下がり、マイナス35になったというわけである。 カルマは上がる時はちょっとずつなのに、下がる時はドカッと下がる。もはやどうしようもない。 カルマが大幅に下がったせいか、俺の体は全体的に負のオーラ(?)に包まれている。 身もふた
ならず者の町ディソラムで暮らし始めて、一ヶ月ほどが経過した。 季節はいつのまにかすっかり秋である。 昔、港町で極貧生活を送っていたときのように、小さい依頼を中心にこなしながら暮らしている。 ちょっとしたおつかいやら、店の手伝いのバイトやら、下水掃除やらだ。 あのときはお金のためだったが、今はカルマのため。 いつまで経っても世知辛い世の中だな。 他にも道端で転んだ老人を助けたり、迷子の道案内をしたりと善行も頑張っている。 ただしこの町はならず者が多い。 転んだ老人と思ったら盗人だったり、子供であってもかっぱらいをしたりと油断できない。 おかげで観察力が磨かれたような気がする。 手助けをするにしてもよく注意を払って、俺に被害が出ないようにするわけだ。何とも嫌な話だが、身を守るためである。 それでも地道な活動のかいがあって、カルマはマイナス14まで持ち直した。 体に走る負のオーラがだいぶ軽減されてきたので、もう少しで犯罪者ではなくなると信じたい。「お疲れさん。今日はもういいよ」「どうも」 今日もアイテム屋の倉庫整理の依頼を終えて、俺は依頼料を受け取った。 店主が言う。「ユウは真面目に働くから、いつも助かっている。だが、この町で真面目は必ずしも美徳じゃないぞ。いつもお互いがお互いをだまそうとしている町だからな」「用心はしていますよ。この前も宿屋に強盗が入って身ぐるみ剥がれそうになったけど、撃退したし」 撃退したのは主にクマ吾郎なんだが、まぁ嘘は言っていない。 俺の答えに店主はニヤリと笑った。「へえ、それなりに腕も立つんだな。じゃあ盗賊ギルドからスカウトが来るかもよ」「盗賊ギルドか……」 盗賊ギルドはこの町を取り仕切っている組織だ。いわゆる裏社会のギルドで、他の町にもネットワークがあるらしい。 この町では誰もが盗賊ギルドの存在を知っている。 でも実際に誰がメンバーで、どんな組織なのかは謎に包まれているのだ。
俺はさらに観察を続けた。 壁は石だと思ったが、よく見ればどこか有機的な印象も受ける。 貝殻とか亀の甲羅とか、あるいは象牙のような。硬質だけれど生き物の痕跡を感じる、あの感覚だ。 ふと、壁の上部と左右にくぼみがあるのを見つける。 上部のくぼみは剣の形。 左のくぼみは丸い形。 右のくぼみは丸に尻尾が生えたような……あれは勾玉だろうか。 手を伸ばしてくぼみを触ってみる。やはり弱い魔力が感じられる。 だが、それ以上は何もない。 くぼみ以外の部分も指でなぞってみたが、何事も起こらなかった。「これは、『何もなかった』と言うしかないかなぁ」 壁を叩いてみたが、頑丈でびくともしない。 ただ、かすかに反響音がした。 もしかしたらこの壁は扉で、先は通路が続いているのかもしれない。確かめようがないけど。 それからもしばらく眺めたり触ったりしたが、何も変わりはない。 俺は諦めて帰ることにした。 時刻はもう夜だ。野営が必要になる。 俺は少し迷ったが、外に出て休むことにした。 ここの魔力は薄いが、どこか気味が悪いんだよな。落ち着いて休めない。 外に出ると真っ暗だった。月も星も分厚い雲に隠されてしまっている。 俺は久々に手近な木に登り、仮眠を取った。 いつもはクマ吾郎とエリーゼがいるから、交代で見張りをするのにな。『また来るといい、森の子よ』 眠りに落ちる直前。誰かの声が聞こえたような気がした。 翌朝、日が昇ると同時に俺は王都へと出発した。 おかげで昼になる前に到着する。 北門をくぐろうとしたところで衛兵に呼び止められて、王城へと向かった。 塔にあるヴァリスの執務室に入ると、彼が一人だけで待ち構えていた。「どうだった?」 問いかけに首を振る。「特に何も。不思議な場所だっ
頭の仲の映像として見えたのは、地図と地形だった。見えたというか、無理に流し込まれたような感覚だった。 場所は王都から北に半日ほど進んだ先。 森の中にある洞窟、その内部。「森の洞窟が見えました。場所は王都の北」「ああ、間違いない」 俺が答えると、ヴァルトは少し複雑な顔でうなずいた。「その場所まで行って、洞窟の中を確認してきてくれ。それが仕事だ」「確認とは? 何をすればいいんですか」「文字通り見てくるだけでいい。きみの森の民としての目で見て、異常がなければそれでよし。もしも何か気付いた点があれば、教えてくれ」「はあ」 なんともふわふわした話である。ヴァリスらしくもない。「この件は他言無用だ。もしも話が漏れた際は、覚悟するように」「は、はひ」 ヴァルトに凄まれた。すごい威圧感なんですけど。怖。「きみが戻ってくるまで、奴隷と熊は預かろう。すぐにでも発つように」 人質というわけか? そこまでしなくても裏切るつもりはないがな。 部屋を出る。 扉の両側に立っていた騎士に睨まれた。 エリーゼとクマ吾郎の姿は見えない。 ヴァリスのことだから、手荒な真似はしていないと思うが……。 不可解な思いを抱えながら、俺は北に向けて出発した。 クマ吾郎もエリーゼもいない。 たった一人で野外を歩くのは久しぶりである。 寂しいような気持ちと、最初は一人だったという懐かしい気持ちが入り混じった。 時間はもう午後だったが、俺は一路北に向かって歩みを進めた。 夕方、日没の少し前に目的の洞窟を発見する。 森の奥深く、崩れかけた土の斜面に狭い入り口が開いている。 これは、事前に教えてもらわないと見落としてしまうだろうな。 背を屈めて入り口をくぐった。
それからあちこちの店を巡って、俺は何冊かの魔法書を買った。 おなじみのマジックアローと戦歌の魔法に加えて、新しく光の盾の魔法と沈黙の魔法に挑戦してみることにしたのだ。 光の盾は防御力アップ。 沈黙は相手の魔法を封じる。 俺の読書スキルも少しは上がったからな。 新しい魔法を覚えて戦術に幅を出したい。 次は武具を見てみようと大通りを歩いていると、衛兵に呼び止められた。「冒険者のユウだな?」「えっ、あ、はい、そうですけど」 カルマ下がりまくり犯罪者時代のトラウマで、俺は衛兵が苦手になっている。 思わずテンパった返事をしてしまった。くそ、エリーゼの前だと言うのに情けない! 衛兵はそんな俺の態度に構わず、つっけんどんに言った。「お前を王城まで連行するよう、命令が出ている」「えっ。俺、なにもしてませんけど」「いいから来い」 俺は問答無用で引き立てられた。エリーゼとクマ吾郎は心配そうな顔でついてきてくれた。 以前ロープで乗り越えた王城の城壁の中に、今度はちゃんと門から入る。 衛兵は問答無用の態度だったが、俺たちに危害を加えるつもりはないようだ。 衛兵や騎士が行き交う中を歩いていく。 やがてたどり着いたのは、見覚えのある塔である。「ここは……」 俺のつぶやきは無視されて、衛兵から騎士に引き渡された。 塔の中に入って螺旋階段を登る。 見覚えのある扉を開くと、彼がいた。 騎士団長にして白騎士の称号を持つヴァリスだった。「久方ぶりだな、ユウ」 彼は穏やかな声で言う。「は、はい。久しぶりです」「急に呼び立ててすまなかった。きみに一つ、仕事を頼みたくてな」 ヴァリスが目配せすると、部屋にいた騎士たちが出て行った。 ついでにクマ吾郎とエリーゼも部屋から出される。人払いか。「きみは森の民だな」「…………」 俺は思わず黙り
いつしか季節は冬から春になっていた。 俺が難破船から放り投げられたのが、去年のやはり春。もう一年が経過してしまった。 海で死にかけていた俺を助けてくれた森の民の二人、ニアとルードはあれ以来会っていない。 少しは強くなった今、ルードにお礼参りをしてやりたいところだが、居場所が分からないんじゃ仕方がない。「ご主人様。税金の請求書が来ていますが、納税に行きますか?」 春のある日、盗賊ギルドで次の冒険の準備をしているとエリーゼが言った。「冬に納税したばかりですので、締切に余裕はあります。まとめ払いも可能です。どうしましょうか?」「うーん」 俺はちょっと考えた。 盗賊ギルドのある町から王都までは片道五日。 すぐ近くというわけでもない。正直、わざわざ行くのはちょっとめんどくさい。 だがまとめ払いで締切ギリギリまで粘ると、前のように思わぬ事態で脱税犯罪者になってしまうかもしれない。 あれは本当にひどい目にあった。 もう一度免罪符を発行してもらうわけにはいかないから、慎重に動かなければならない。二度とあんなのごめんだよ。 考えた結果、俺は答えた。「配達の依頼がてら、納税に行こうか」「分かりました。旅の準備をしますね」 以前は俺一人でやっていた準備作業も、今ではほとんど彼女がやってくれる。 俺もいい身分になったものだ。 というわけで、俺たちは王都へと旅立った。 旅の途中、野宿の際の食料は現地調達もする。 獣や鳥を狩ったり、川や湖があれば釣りもする。 この前、新しく料理スキルを習得した。 おかげで狩った肉や釣った魚もその場でおいしく調理できて、とても助かっている。「料理スキル、もっと早くに取ればよかったよ」 焚き火で魚を焼きながら、俺はしみじみと言った。 料理スキルを覚える前は、ただ肉や魚を焼くだけでも失敗ばかりだった。黒焦げだったり生焼けだったりで食べられたものじゃないのだ。 おいしい食事は心を
エリーゼを連れて盗賊ギルドに戻る。俺は彼女に役割を伝えた。「きみには税金や依頼の締切チェックと、戦闘の補助をお願いしたい。締切は俺も確認するし、戦闘はあくまで後衛でいい。命の危険があったら逃げてくれ」 エリーゼは暗い表情のまま首を振った。「仕事については承知しました。でも逃げるのはできません。命をかけてあなたを守るのが、奴隷の仕事です」「俺がそうしろと言っているんだ。命令だよ」 強く言えば、彼女はしばらく迷った後にやっとうなずいた。「……分かりました、ご主人様」 ご主人様!! その言葉はなぜか俺の心を貫いた。 おかえりなさいませ、ご主人様。 萌え萌えキュン。 おいしくな~れの魔法をかけちゃう。 そんなセリフとともに、黒いワンピースに白いエプロンの女性の面影がよみがえる。 心臓がきゅんきゅんいってる。 え、何? 俺ってメイド萌えだったの? 正直、前世日本の記憶はもうあいまいだ。日本人としての俺がどんな人間だったのか、よく思い出せない。 あぁでも、この胸のトキメキは本物! ミニスカメイドもいいが、クラシックなロングスカートも捨てがたい!「なあ、エリーゼ。ミニスカートとロングスカートだとどっちが動きやすい?」「え?」 気がついたら俺は口走っていた。 でも最低限の気遣いは残っていたようで、戦闘時の動きやすさを聞いていた。「タイトなスカートでなければ、どちらも変わりません」 と、エリーゼ。「じゃあ両方買おう! 洗い替えは必要だしな!」「えぇ?」 彼女の手を取って走り出す。行き先は盗賊ギルド内の服屋だ。 盗賊ギルドは変装グッズが揃っている。そのため色んな職種の服が売っていた。「ミニとロングの黒ワンピースください。あとエプロン。エプロンは白で、フリルがついているのがいい。メイド服にぴったりなやつ」 店主のおばさんに言えば、す
カルマが上がり犯罪者でなくなって、俺にまともな冒険者としての生活が戻ってきた。 もう衛兵に追われることはない。 ならず者の町ディソラム以外でも、住民に嫌な顔をされない。 今後はしっかりカルマを管理して、犯罪者にならないよう気をつけないとな。 特に税金関係はコリゴリだ。二度と脱税(別に脱税したくてしたわけじゃないが)はしないようにしないと。 だが、俺はどうも性格的にうっかり屋なところがある。 一人で完璧に管理できるか心配だったので、人を雇うことにした。 クマ吾郎は頼りになる熊だが、やっぱり熊だからなあ。 雇い人に税金やその他のスケジュール管理を頼んで、ダブルチェック体制にすればミスは減るだろう。 できれば事務能力だけでなく、戦闘もある程度こなせる人がいい。 なにせ俺の本業は冒険者。稼ぎ場はダンジョン。 危険はつきものだからな。 人を雇うアテがなかったので、盗賊ギルドでバルトに相談してみた。「雇い人はどこへ行けば雇えるだろう?」「奴隷を買えばいいんじゃない?」 あっさり言われて、俺は眉をしかめる。「奴隷って。俺、ああいうの嫌いなんだけど」「ユウは好みがウルサイよね。奴隷は嫌、犯罪者も嫌」 バルトはニヤニヤしている。 そんなもん嫌に決まってるだろうが。「でもね」 と、バルトは続けた。「奴隷も別に悪いものじゃないよ。この国は奴隷制が合法。買うのは何ら問題ない。非人道的な扱いが嫌だというなら、ユウが優しくしてやればいい」「虐げるつもりはこれっぽっちもないが、やっぱり奴隷はなあ……。そういう身分とか仕組みそのものが嫌いなんだよ」「奴隷なら最初にお金を払って、あとは衣食住の面倒をみてやればいい。雇い人のほうが面倒だよ。毎月給金を払って、しかも裏切るかもしれない」 奴隷であれば魔法契約を結ぶので、主人を裏切る心配がないのだという。 いやなにその人権無視な契約。そういうのが嫌なん
「――さて。ユウの用件は済んだが、そいつは?」 ヴァリスが鋭い目でバルトを見た。 バルトは気圧された様子もなく、丁寧に礼をする。「申し遅れました。僕は盗賊ギルドのバルトと申します。ギルド後輩のユウの用事を助けるついでに、名高い白騎士ヴァリス様にお会いしようと思ってやって来た次第です」「……目的は?」 バルトは丁重な態度を崩さずに言った。「特には。騎士中の騎士と名高いヴァリス様をこの目で間近に見られて、それだけで満足ですよ」「盗賊ギルドが、よく言う」 吐き捨てるように言われたセリフに、バルトはにっこり笑ってみせる。「強いて言えば、僕らのことを知ってもらいたかった……というところですね。盗賊ギルドは誤解されやすいのですが、犯罪者集団ではありません。冒険者としての盗賊職を支援する、真っ当な面もあるんですよ」「本当です。俺、盗賊ギルドに入ったおかげでかなり腕を上げました。ダンジョン攻略の助けになっただけで、ギルドにいる間、何一つ悪いことはやっていません」 俺は口を挟んでみた。 盗賊ギルドに世話になっているのは事実だ。フォローくらいしないとな。 ヴァリスは俺たちの言葉に首を振った。「あくまで真っ当な『面もある』だけだろう」「あはは、バレちゃいましたか」 バルトはまったく悪びれない。「じゃあ仮にですけど。裏社会としてのギルドと冒険者としてのギルドが分離したら、冒険者の部分は表舞台に立つのを許されるでしょうか?」「……完全に分離したと証明できるのなら、検討の余地はある」 ヴァリスの慎重な言葉にバルトは笑みを浮かべた。「今の段階では、そのお言葉が聞けただけで満足ですよ」「おいバルト、そんな計画があるのか?」 俺は思わず口を出すが。「さあ、どうだろうねえ。ただ、組織はいつだって柔軟に変わっていかないといけないから。硬直化した組織なんて、いつか壊死
深夜、俺とバルトは王城の門のほど近くに隠れていた。 月は細くて、しかも雲がかかっている。絶好の侵入日和(?)だった。「なあ、本当に忍び込むのか?」 俺のヒソヒソ声にバルトは笑ってみせる。「怖気づいたのかい? 盗賊ギルドの一員ともあろう者が、情けない」 そりゃあ怖気づくだろ。 今から天下のパルティア王城に不法侵入するんだぞ。 たかが脱税でカルマががっくり下がる国だ。 王様の家である王城に侵入なんかした日には、その場で死刑になってもおかしくない。 けれどバルトは俺の言葉を意に介さず、さっさと進み始めた。 鈎爪つきのロープを取り出して投擲。王城の城壁に取り付いた。 素早い身のこなしでするすると登っていく。 俺も続いてロープを掴んだ。 バルトほどではないが、まあまあスムーズに登れたと思う。「ユウはまだまだだね。軽業スキルをもっと鍛えないと」「分かってるよ」「ギルドに戻ったら特訓部屋を貸してあげよう。四方から矢が飛び出してくる、からくり部屋だ。矢を避け続ける修行ができるよ」「お断りします」 なにそのバトル少年漫画の修行シーンみたいなやつ。 命の危険があるじゃん。俺はそこまでしたくないよ。 そんな無駄口を叩きながら、俺とバルトは城壁から飛び降りた。 植え込みや物陰に隠れながら進む。「騎士団長がいる場所、分かってるのか?」「目星はついているよ」 なんとも頼もしいことだ。 巡回中の衛兵の目をかいくぐりながら、俺たちは進んだ。 王城の中心地に近づくほど、衛兵の数が増えてくる。 と。 木の陰に隠れた俺は、うっかり枝を踏んでしまった。パキリ、と意外に大きな音がする。「何者だ!」 近くにいた衛兵の一人が槍を構えた。 ど、どうしよう! 俺は焦りまくりながら、とっさに、「に、にゃぁ~」 猫の鳴き真似をしてみた。
俺は必死に衛兵から逃げる。「うわっ!」 衛兵の片方が矢を射掛けてきた。 あいつら容赦ない! とっさに左にステップを踏んでかわす。 軽業スキルとダンジョンで培った戦闘能力が役に立った。 矢は石畳の継ぎ目に突き刺さった。その威力にぞっとする。 路地に追い立てられ、狭い道を必死で走る。 やがて見えてきたのは行き止まり。 袋小路に追い込まれた。 衛兵たちの気配が近づいてくる。 と。 袋小路の手前、ゴミのかげにあったドアが急に開いて、俺は引っ張り込まれた。「しーっ。大人しくしてね」「バルト!」 俺を引き込んだのはバルトだった。 薄暗い室内で俺の口を押さえてくる。「犯罪者はいたか?」「いや、見失った」「近くにいるのは間違いない。よく探せ!」 壁一枚向こうで衛兵たちの声がする。 やがて声はだんだん遠ざかっていって聞こえなくなった。「ユウ、災難だったねえ」 バルトはニヤニヤ笑っている。 言葉とは裏腹にこうなるのが分かっていたかのような表情だ。 俺は心の底からため息をついた。「また地道なカルマ上げをすると思うと、気が遠くなるよ」「前と同じやり方じゃあ駄目だけどね」「え?」 バルトを見れば、彼は肩をすくめた。「だって税金の請求は二ヶ月ごとに来るんだよ? ユウは去年の夏が最後の納税なんだろ。次の税金を滞納すれば、脱税扱いになってカルマがまた下がる」 そうか、税金は二ヶ月毎に請求書が来るんだった。 締切まで間があるので、半年分ならまとめ払いができる。 ところが俺は半年前に納税したっきり。 次の締切は二ヶ月後になる。 たった二ヶ月でマイナス45のカルマを戻せるか……? いや無理だろ。以前はマイナス35から始まって、ゼロに戻すまで四ヶ月はかかった。